神戸恵みチャペル(教会)のホームページへようこそ。
神戸恵みチャペルは正統的なプロテスタントのキリスト教会で日本同盟基督教団に所属しています当教会は子どもから大人まで共に礼拝していますどなたでも礼拝に出席することができますのでご気軽にお越し下さい。
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お知らせ

祈祷会と聖書を学ぶ会に関するお知らせ
祈祷会と聖書を学ぶ会を一緒に行っています。
実施日時は毎週水曜日 午前10:00~のみとなります。

グレースキッズ (アフタヌーン)のご案内
 毎月、第2、第4日曜日の午後2時~
  ☆楽しいゲーム・クイズ・歌を歌います。
  また、今はやりのゲーム(ニンテンドースイッチ)や色々なボード
  ゲームもあるヨ!
  待望の卓球台が来ました! みんなで卓球をしよう!
  卓球マシーンもあるよ
  くせになる楽しさです。

牧師からのコメント
「聖書に興味のある方は、是非、気軽にお越しください。共に学んでまいりましょう。」

今週のメッセージ (No.131)  毎週更新

『恐れを締め出す愛』     Ⅰヨハネ4:16後半~21
 ヨハネの手紙第一は、長さが非常に短い手紙であるにもかかわらず、愛について36回も言及するほどに、愛を強調します。ヨハネが、最も重要に思う真理はこれです。19節「私達が愛することは神様が私達を先に愛したからです。」神様は、愛の源泉です。私達に属する愛は、愛のように見えますが、本当の愛ではありません。私達が本当に誰かを愛することができるのは、神様が私達を先に愛して、神様から受けたその愛で、他人を愛することができるからです。神様は、私達のような汚れた罪人のために、ご自分の御子を犠牲にされ、まず私達を愛されました。私達は、キリストを通して与えられたその愛を持って、神様を愛し、また兄弟姉妹を愛する旅を、続けて追求しなければなりません。ヨハネは、私達が真の愛を行うための旅を歩く時、私達に致命的な妨害となるもの、一つを警告します。それは、何でしょうか? 18節前半「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」ヨハネは、愛と恐れは、相反するもので、絶対に共に存在できないと言っています。私達の心に愛がないとき、私達の心を支配するのは恐れであり、愛が私達の心に入る時、愛は恐れを追い出して、私達の心を占めます。
神様は本来、私達人間の心に、愛と恐れの中で、愛だけが存在するようにされました。エデンの園で、アダムとエバが送った幸せな人生は、彼らの心の中に、愛がいっぱいだったということを見せてくれま
す。しかし彼らが罪を犯してから、彼らの心を支配したのは、もう愛ではありませんでした。彼らは神様を避けて、木の間に隠れました。どうして、隠れたのでしょうか。愛の代わりに、恐れが彼らの心を、つかんだからです。彼らは、なぜ恐れたのでしょうか。表われた自分の恥と、それに対する神様の懲罰のためです。ヨハネも、恐れに対してこう言います。18節後半「恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。」ここで"懲罰"は神様に、拒否されることをいいます。神様に、拒否されることに対する恐ろしさが、私達人間が持つ恐れの根本なのです。神様に対する恐れは、神様と私達の関係だけに影響を及ぼすのではなく、私達と他の人との関係にも、影響します。アダムとエバの罪は、彼らの子供に遺伝し、長男のカインは自分の弟、アベルを嫉妬して殺してしまいました。神様が殺人を犯したカインに罰を下した時、カインはこのように答えました。創世記4:13、14「カインは主に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」」カインは、神様だけが自分を罰するのではなく、他の人たちも自分を敵対して、殺そうとするだろうと思いました。なぜカインは、神様だけでなく、他の人たちまで恐れたのでしょうか。神様から拒否されることへの恐れが、神様が造られた他の人間からも、拒否されると恐れるようにしたからです。神様に対する恐れは、それだけで終わるのではなく、神様が造られた被造物に対する恐れへとつながるのです。
自分が拒否されるかもしれないという恐れは、他の人たちとの関係で、私達を萎縮させます。私達にとって最悪の状況は、他人からの拒否され、傷つくものだと勘違いするようになることです。しかし人間にとって、最悪の状況は、他人からの拒否ではなく、神様からの拒否です。永遠に罪の懲罰を受け、神様と断絶されることこそ、私達に襲われる最悪の状況なのです。しかし聖書本文は、私達が最悪の状況をすでに免れ、最高の状況の中に置かれていることを教えてくれます。17節前半「こうして、愛が私達にあって全うされました。ですから、私達はさばきの日に確信を持つことができます。」 神様は、私達が経験しなければならない、最悪の状況を、イエス·キリストが、代わりに経験するようにされました。それで私達は、救い主であるイエス·キリストの中で、審判の日に大胆にできるのです。これらを表現すると、私達は永遠に、神様に受け入れられた者になったということです。また私達が、神様に受け入れられた者になったということは、神様が造られたこのすべても、結局私達を認めて、受け入れるようになるということです。救いは始まったばかりですが、まだ完成していないので、この世界で私達は他の人々を愛し、時には拒否され、時には見捨てられ、時には傷つくと思います。しかし、私達は恐れる必要が、ありません。世界の全ての人々が、私達を拒否しても、愛の源である神様は、私達を受け入れて下さったからです。

新着情報

2019/7/15
  今週のメッセージNo.131を更新しました
2019/7/5
  今週のメッセージNo.130を更新しました
2019/6/23
  今週のメッセージNo.129を更新しました
2019/6/19
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2019/6/9
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2019/6/2
  今週のメッセージNo.126を更新しました